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◼︎野田食菌工業の発展に尽くされた方々  【大学関係】

 
 

 

LEMとの出会いが
がんと免疫の世界的成果へ

 

菅野延彦先生
富山医科薬科大学名誉教授 理学博士/故人

 


 飯塚千代吉社長との衝撃的な出会い


LEM との出会いは、1967(昭和42)年に富山大学薬学部へ講師として赴任したことがきっかけでした。当時、私の研究分野は「植物」で、主に増殖を繰り返す植物の培養細胞塊(カルス)を研究していました。その関係から、同じ植物生理学のエキスパートとして名高い折谷隆志教授の元にいた葭田隆治教授と面識を持ったことが、野田食菌工業との出会いです。私は、「植物の増殖の繰り返し」を研究するうちに、動物のがんの増殖の繰り返しにも興味を持ち、どこかでがんの基礎研究を勉強できないかと探していました。そして米国で、がん研究で著名なハリス・ブッシュ先生(所属・肩書 確認)と面談することになり、すぐにブッシュ氏から招集を受けて、1970(昭和45)年に米国に渡りました。そのときの研究が認められ、米国の「がん研究プログラム」に参加し、最先端のがん研究のノウハウを知ることになったのです。帰国後は、米国での「DNAに結合して遺伝子の働きを制御する蛋白質に関する研究」が評価されて、文部省がん特別研究組織の一員として招集されました。そこでは、学生とともに分子生物学的研究に携わって、7年後、大谷技術短期大学(当時)の葭田隆治教授の紹介で、野田食菌工業の飯塚千代吉社長と面談しました。私はそのときのことを、「〝衝撃的な出会い〟」として鮮明に覚えており、「1979(昭和54)年10月の晴れ渡った日の午後のことだった」と日記に記しています。

機材も人手も材料もない中、LEMの研究が始まった


飯塚社長は、「椎菌や茸源を愛飲している方たちの評価はなぜ高いのか?」「本当に効果があるのか?」ということを科学的に証明したいと、私のところへ話を持ってきてくれました。当初は、LEMの元となっているシイタケなどのきのこ類をよく食べる、我々日本人のがんの発症率が特別低いわけではないという事実から、懐疑的に話を聞いていました。しかし、飯塚社長の話を伺っているうちに、「LEMにはシイタケ以外の成分も含まれており、研究する価値があるのではないか」と思い至りました。実験を開始した当時は、機材も人手も材料もない中のスタートでした。1980(昭和55)年、「56豪雪」での試験ということで、スコップで1mもの積雪をラッセルしながら、学生と一緒に実験器具を運んだことなど、様々なことがありました。
しかし、学生諸君の、成果の出ていない〝机上の空論〟にすぎない研究に打ち込む姿勢が実り、無事成し遂げることができたのです。その研究結果は1981(昭和56)年6月に日の目を見ることができ、当時の日本ではセンセーショナルだったため、多くのマスコミに取り上げられました。その研究結果は、まだ課題が残されていましたが、これがきっかけとなって、国から特別研究助成金を受けることができました。

 野田食菌工業とともに、免疫学研究のレベル向上に寄与


その後19年間にわたって野田食菌工業とともに研究を行い、世界的ながん研究の論文誌『Cancer Letter』(1982年)へ研究論文を発表したり、がんと免疫の関わりについての先駆けとなる研究を行うなど、多くの成果を残すことができました。また、免疫学に対しては、富山医科薬科大学初となるFACS(蛍光標示式細胞分取器)という特殊設備導入のきっかけになり、免疫学的研究のレベル向上に寄与しました。その後、たくさんの人に、今まで蓄えた免疫のノウハウを講演という形で伝え、人体の健康の根幹には「免疫」が大切であることを訴え続けてきました。今でも私の研究スピリットが受け継がれて、大学のみならず、様々なところで活かされているのが嬉しいですね。
*本稿は、『会員だより』「LEMと私」(2003年〜2007年)より構成

 


 
 

 

LEM、MAKの研究で
培った良好な関係

 

日比野康英先生
城西大学大学院薬学研究科長

 


  LEMに制がん効果が


1981(昭和56)年、私が大学4年生だった時に、富山医科薬科大学の菅野延彦先生と、LEMの抗腫瘍活性についての研究を本格的に始めました。それから私は大学院へと進み、以降、菅野先生とは40年来のおつき合いとなりました。菅野先生は最初に、食品のLEMから「制がん効果がある新成分を発見した」ということで、多くのメディアに取り上げられていました。その頃の日本は、「食品成分」でがんの増殖を抑制するという視点はなかったので、素晴らしい着眼点だったと思います。 この菅野先生の研究結果などが引き金となって、国もがんを克服するためのあらゆる可能性を模索し始めました。大学としてもこれを機に、文部省(当時)との折衝により、研究費を助成してもらう流れになっていきました。当時は「レンチナン」というシイタケ由来の抗がん剤もあったのですが、データの科学的な証明は十分になされていなかったと思われます。
 

研究者は新しい視点と豊かな発想が大切


当時の菅野研究室は、研究費が十分ではありませんでした。当初は、御社の助けを借りて四苦八苦しながら研究費を調達していたのですが、データが整っていくうちに、「食品成分」による抗腫瘍という新しい観点の研究を国に面白いと思ってもらうことができて、研究費の補助が行われるようになりました。これらを通した研究から新しい視点を持つことを学ぶことができました。また、発想が違うことがいかに大切かということを知ることともに、研究者としての良い人生を送らせていただいたことに大変感謝しております。


日比野教授・神内教授
城西大学生体防御学研究室の生徒

 MAKの研究を始めるにあたり


菅野先生とL E Mの研究を行って、実績を挙げてからは、さらにMA Kの研究を始めたいと思いましたが、研究費のことを考えるとなかなか踏み切ることが難しい状況でした。しかし大学の異動があり、食品の研究ができる環境が整ったことで、M A Kを研究できることになりました。M A Kの研究では、菅野先生の考え方をそのまま踏襲するのではなく、自分なりの視点も加えてやってみようと思いました。着目したのは「抗酸化作用」です。病気の多くがストレスを要因としていると考えられていますが、その原因の一つが、「酸化ストレス」を抑制する研究を進めていけば、その成果が自ずと御社にも良い影響をもたらすのではないかと考えました。また、菅野先生の後追いでMA Kを研究するのであれば「私の存在意義はない」と考え、独自の研究を貫き通したいと思ったことも大きな要因でした。
 
 

健康は食事や食品から


菅野先生はすでにL E Mの研究で実績を挙げておられました。M A Kの研究については、弟子である私が、城西大学で食品をメインとする研究を始めることになり、菅野先生もMA Kについてよく気にかけてくださいました。私の考えとしては、「生活の中心は薬ではない」ということ──つまり、食事や食品がメインで健康が成り立っているということです。また現代は、それに加え、健康食品をどうやって生活の中に取り入れて健康維持に役立てていくのかということが、私たち研究者の使命ではないかと思います。その中でもL E Mは重要な健康食品で
はないかと考えています。私たち研究者が野田食菌工業と5 0年近く良好な関係を築けた理由の一つは、御社が「売りさえすればいい」という考え方ではなかったことが大きいと思います。「本当に良いものなのか」という実験データ検証を積み重ねた上で、本当に良いものだけを提供されてきたことで、今も使っていただいている方の信頼が得られているのだと思います。御社がそのような姿勢だったからこそ、私たちも自信をもって研究に打ち込むことができました。

 

学生とともに研究成果を追求


大学での研究によって得られた実験データは、単に利益を上げるためのものではありません。ただ、「健康を追求する」ということに視点を置いて、学生とともに学術的な成果を追求した結果、MAK研究における革新的な発見につながりました。純粋に研究を続けた結果、良い製品ができたというのは幸運でした。学生に対しては、①研究を行う上で最初に出てきたデータは、世界で一番初めに見るデータであること②世界で最初に見るその事実を知るのは、研究している本人であること③そのことに面白みを感じ、それらをしっかりと伝えることを大切にするように指導しています。御社も世界で初めて製造したLEMの「何が良いのかを知りたい」と思われたからこそ、私が50年間一緒に研究を続けることができたのではないでしょうか。また、データの信用性を伝えることを大切にし、決して「何が何でも商売ありき」ということを良しとされなかったことが、息の長い成功につながっているのだと思っています。

 
 

城西大学生体防御学研究室の研究風景

 
 

 

千代吉社長の信念に共感、
LEM、レンテミンを研究

 

折谷隆志先生
富山植物資源研究所所長 農学博士

 


 LEMの中に、サイトカイニン活性物質を偶然、発見


シイタケの「生活環」を見てみると、こ れは木材腐朽菌なので、LEMには木を枯 らせる物質が含まれているのかもしれませ ん。ただ逆に、それが植物にとって良い刺 激になっているとも考えられます。 レンテミンの良いところは、オーキシン とサイトカイニンのバランスがうまく取れ ていて、蕪などの根菜類に肥大効果が出や すいことだと思います。 一方、L E Mの抗ウイルス活性成分には グルコース、ガラクトース、マンノースな どの糖成分とともにセリンが多いペプチド が含まれており、これら多糖類とペプチド がウイルスの不活性化とどのように関係し ているかは、今後さらに研究を続けるべき 課題です。1975 (昭和50)年前後でしたが、サイト カイニン物質をLEMの中に見つけること ができたのは、本当に偶然の賜物でした。 当時は植物ホルモンの種類がオーキシンの みという時代で、学会でも新しい物質があ るかないかで議論をしていたのですが、結 合型のサイトカイニンを発見したのは、私 が世界でも初めてでした。
 
 
「レンテミンとクロレラCGFの生理活性物質」についての手書き論考

研究者に惜しみない援助をしてきた初代飯塚社長


野田食菌工業とは、企業と研究者が単なる利益のためではなく、お互いに「世の中のためになる研究を通じて、人の健康に役立ちたい」という信念を共にして協力してきたからこそ、いい仕事ができたのだと思います。この創業者の行動理念を見失わずにきたことが、50年続けてこられた理由ではないでしょうか。1965(昭和40)年代、植物の成長促進に対してもLEMの効果を感じ始めていた初代飯塚社長は、よく東京大学まで足を運んで相談していたようです。その過程で、富山で研究をしていた私を、知ってくださったのだと思います。社長はさっそく、富山県立大学の私のところまでいらっしゃって、「LEMの分析」を頼まれました。最初は研究資金の点で懸念がありましたが、社長の惜しみない熱意と援助を受けて研究を行うことができました。創業社長として、研究のためにギリギリに近いところまで会社の資金をつぎ込んでいた千代吉社長の姿が、鮮明に印象に残っています。私も試験のために、さつまいも、花の苗木、山茶花(さざんか)など様々な植物を育てました。それらにレンテミンをかけると、どれもが根の発根量が多くなることに驚き、「とても信じられない現象だ」と思いました。以降、植物の成長調整物質、抗ウイルス、またヒト領域では、肝炎やエイズウイルスの研究を野田食菌工業と一緒に行ってきました。千代吉社長は植物研究のみならず、がんに対しての研究の熱意も、ものすごい人でした。「LEMには抗がん性が絶対にある」という確信を持たれていて、LEMの抗がん性研究を行う研究者を探しに私のところに来てくださり、当時、私と一緒に研究をしていた富山県立大学の葭田隆治先生に話が及んだのです。
 

「世に出すものは、たとえ植物に使用するものでも悪いものはつくれない」


葭田先生はすでに菅野先生と面識がありましたので、「菅野教授に抗がん性に関しての研究を頼めないか」と、即座に打診されました。翌日、葭田先生は飯塚社長を連れて菅野先生のもとを訪れました。すると当初の懸念は払拭され、LEMの研究が飛躍的に進むことになったのです。私から見てこの研究は、「菅野先生にしかできない研究であり、同時に、健康食品の発展につながる研究だろう」と思えるものでした。千代吉社長は私のもとへ足繁く通われて、いろいろなことを相談されました。一例として、「LEMが肝炎に効くのではないか」と尋ねられたので、「私の知り合いで、滋賀県長浜市の長浜赤十字病院に財津晃院長がいます」と話をしました。すると千代吉社長はさっそく「その先生のもとで肝炎に対して椎菌を使ってもらいたい」と、私のところへ椎菌を100本単位で発送し、財津晃院長に試験をしてもらうように頼みました。財津先生は快く受け入れてくれて、2例だけとはいえ、急性ウイルス肝炎と劇症ウイルス肝炎の患者に椎菌を投与することになりました。その結果、1週間ほどで肝臓の数値が双方とも快方へ向かい、

 
 
 
私は大変 驚きました。 そのほかにも、私にとって印象深かった のは「成分保持のために凍結乾燥が良いで すよ」と千代吉社長に伝えたところ、当時 はほとんど流通しておらず、とても高価 なものだった凍結乾燥機をすぐに購入し、LEM を乾燥して粉製品にしました。 千代吉社長は「世に出すものは、たとえ 植物に使用するものでも、悪いものは作れ ない」という強い信念のもとに行われた英 断だったと思います。